いつしかの箱 その2

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 学童クラブでは毎日、1日の後半になると、みんなで日記を書いていた。日記といっても、反故紙の裏に何か書き、穴を開けてバインダーに留めるようなものだ。紙に線を引くだけの子、紙をぐちゃぐちゃにして食べてしまう子、その日起きたことを書く子など、いろいろな子がいた。ともあれ、どの子も最低1枚は何かをしていた。

 長田さんは相変わらずK君に注目していた。すると、ある日から突然、K君は日記に「しろなす」と書くようになった。「しろなす」とは白い茄子のことらしい。連日「しろなす」の一言だけが続く。最初は平仮名で「しろなす」。そのうち漢字交じりの「白なす」になったりもした。白地の紙にいびつな茄子の絵を描いた日もあった。絵の日は「しろなす」という詞書はない。そして次の日には「しろなす」という文字に戻ったりもした。「しろなす」の意味は不明だ。

 「しろなす」は長く続いた。長田さんはその正確な期間を覚えていないが、「ずっと書いているな」と思うくらい、数ヶ月、毎日続く。しかしある日、K君は「しろなす」を急にやめた。「しろなす」の後は、普通の言葉だったり、トーマスの絵などを書き始めた。

 「しろなす」が終わったとき、長田さんが受けた衝撃は大きかった。K君にどんな心境の変化が起きたのだろうか。しかしそれを訊ねたとしても、はっきりしたことは何もわからない。質問したところで、K君からはその質問のおうむ返しがあるだけだ。

 「しろなす」の一件は、長田さんにとって忘れられない「楽しい謎」だ。「しろなす」の謎は、ただの思い出ではない。今は、むしろ長田さん自身が「しろなす」を追い求めている。

 多くの人は、K君のような予測のつかない言動をする子に出会ったとき、その子をどう理解して良いか戸惑ったり悩むのかもしれない。一方長田さんは、K君の「しろなす」を見て気づいた。K君を理解するのは無理なことであり、理解しようと努めないほうが良い。

 しかし長田さんの言う「理解しない」とは、けっして相手を否定したり無視することではない。

「僕は『理解する』ことではK君を捉えられないって思ったんですよ。理解しようとすると小難しくなるというか、彼の行動に対する僕の理由づけになってしまう。だから、ただ見ていることにしたんです」

 長田さんはK君の傍らに寄り添った。K君があっちを向けば、長田さんも一緒にあっちを向いてみる。けっして自分のほうを向かせようとはしない。K君にはK君独自のペースがある。それはとても興味深いものだった。長田さんはK君たちと公園で一緒に走ったり、すべり台で遊んだりもしたが、室内でK君を眺めることが好きだった。そこではK君の秘められた世界が見られたのだった。

その3へつづく