さまよう詩人

サメ こんにちは、長田さん。サメです。
 友人の「たぬき」から、長田さんの話はおもしろいって聞いたので遊びに来ました。

(長田さんとたぬきの会話はこちら

長田 それはまた不思議な友人関係ですね~、どうもこんにちは。

サメ 長田さんは本好きらしいって噂を聞きましたけど、どんな作家がお好きですか。

長田 たとえば小説家の開高健とか、詩人の金子光晴とか。
 金子光晴だったら『マレー蘭印紀行』がおすすめですよ。紀行文です。

サメ へぇ、紀行文ですか。「マレー蘭印」ってなんですか。

長田 マレーシアとかインドネシアあたりを指す昔の言い方ですね。
 金子光晴は戦前に数回海外へ出ていて、この本は1920年代末から東南アジアへ行ったときのことを書いているんです。

サメ 20年代末というと、今から90年くらい前のことですね。

長田 そう。第一次世界大戦と第二次大戦の間ですね。海外には、船で何ヶ月もかけて行くような時代ですよ。
 この本は、まさに “旅” そのもの。金子光晴が実際に自分の足を運んで感じたことを、彼の豊潤な言葉で詩のように書いているんです。この文章はもともと、仕事としてではなくて、旅の途中や帰国後に、勝手に書いていたものなんです。だから本物の表現物ですよ。それから時を経て1940年に出版されたんです。
 はい、これ。『マレー蘭印紀行』の文庫版です。

サメ ありがとうございます。どれどれ。

「川は、森林の脚をくぐって流れる。……泥と、水底で朽ちた木の葉の灰汁をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごいている。」

(『マレー蘭印紀行』中公文庫 2004年改版  p.7)

長田 金子光晴の自伝を読むと、このあてのない旅の道中では、お金がなくてなんでもしたって書いてあります。彼は絵も描けるから、描いたものを売ったりして生活費を稼いでます。他にもデング熱にかかったり、からゆきさん達と話をしたり。いろんな逸話があるんですよ。
 これぞ本当の「さまよい」ってやつです。

サメ へぇー。長田さんは何歳くらいのときに、初めてこの本を読んだのですか。

長田 高校くらいのときじゃないですかね。

サメ どういうきっかけで?

長田 そもそもこの本を読む前から、金子光晴のいろいろな詩とか自伝とかを読んでいましてね、彼に圧倒されてたんですよね。
 それから僕、さっきも言ったように開高健さんが好きなんですけど、開高さんが、『マレー蘭印紀行』のことを、とにかくすごいって書いてたんです。詩と散文とエッセイと紀行文、全部がおり混ざっているような、とっても美しい文章だって。
 『マレー蘭印紀行』を読んだら、東南アジアに行きたくなりますよ。そもそも金子光晴を読むと、「ここにいちゃダメなんだ」ってなります。

サメ ここっていうのは?

長田 わかりやすく言えば、今いる場所。あるいは “現状” みたいなものですかねぇ~。金子光晴という人は、ひたすら “ここ” から離れていく……。

−金子光晴の自伝より−

「無政府主義者と共産主義者が、暴力と理論でいがみあっているしばらくの時期を、僕は、〔中略〕世を避けるようにしながら、身の処置に困っていた。そして、自分が使いみちにならないことを痛感し、日本のこの環境から逃げだして見しらぬはてに捨身することを考えることだけに、わずかに解放感を味わっていた。こんなうらぶれた心境のときに、長男が生まれた。その長男を、長男の母親の里にあずけて、その母親と二人で上海にわたり、そこを振出しに、七年間にわたる二度めの海外旅行がはじまった。一九二八年のことである。」

(金子光晴『絶望の精神史』講談社文芸文庫 1996年 p.126)

長田 ストレンジャーというか、普通の人がやらないことを、なんの躊躇もなくこなせる。
 そういうタイプの人に、僕は憧れるんでしょうね。そういうのを作品を通してやってみたいなって思いますよ。

サメ 憧れるというのは、破天荒なことをするという意味ではなくて……。

長田 破天荒なことをするというよりは、何かを打破するという意味です。
 こういう本を読んだら、もっと違う世界に良いものがあるんじゃないかって思えるんですよ。社会の情勢とか治安とかって話じゃなくて、違う景色に、自分の良いと思えるものがあるんじゃないかっていう期待が膨らむんです。
 だから僕、そういうものを作品に描いちゃいますもん。 “ここ” じゃないところに行くっていう絵本。家のなかでごちゃごちゃする作品、あんまないですねぇ~。

「行ってみないと分かんないこと、あるよねぇ」

サメ そういえば長田さんの絵本って、登場人物はだいたい移動してますね。『きみょうなこうしん』とか『いっしょにいこうよ』とか。

長田 移動すると、何かが起こりますから。
 そういうこと、無意識に思っているんだなって、自分でも作品から感じますね。

「生粋の不良」につづく