生粋の不良

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サメ 長田さんは開高健と金子光晴がお好きだという話ですけど、2人とも、どこかに出かけて行って、そのことを作品として書くという共通点があるんですね。たとえば開高健はベトナム戦争の最前線に行って、そのルポを書いてますし。

長田 でも開高さんは、わりと無理してやってる感じがありますね。

サメ 無理して?

長田 “小説家としての自分” を打破するために、意図的にやっているということです。ベトナムもそうですけど、大阪のジャンジャン横丁とかの道裏に入って行って、ルポや小説を書いてますよね。ジャーナリスト的ですよ。
 一方で金子光晴は、小説や詩とか関係なく、自分自身に足払いをかけるためにどんどんやっていくんですよ。それで自分自身を安定させようっていうタイプです。「前線に行くぞ!」みたいな気合いがないんですよ。シューって行ってる。『詩人』っていう自伝を読んでみたらわかりますよ。なんだか彼の血がそうさせてるんですかねぇ、いやぁすごい。

「戦争中の新聞雑誌の報道や論説は、いつでも眉唾ものときまっているが、他の言説が封鎖されていると、公正な判断をもっているつもりの所謂有識者階級も、つい、信ずべからざるものを信じこむような過誤を犯すことになる。人間は、それほど強いものではない。実際に戦場の空気にふれ、この眼で見、この耳で直接きいてこなければ、新聞雑誌の割引のしかたも、よみかたもわからなくなってくる。そこで、僕は、この年の十二月二十幾日の押しつまった頃になって、森をつれて、北支に出発した。」

(金子光晴『詩人』講談社文芸文庫 1994年 p.190-191)
※「この年」とは、日中戦争が勃発した1937年のこと

長田 食いっぱぐれることに関しても、なんとも思ってない気がするんですよ、僕から見るとね。そうでなかったとしても、強がりみたいなものも感じさせないです。基本的に生粋の不良であって、生粋のストレンジャーだなって感じがします。

サメ 生粋の不良ってなんですか。

長田 「俺は不良です」って誇示しないってことですよ。
 やってることは桁違いにすごいことだけど、見栄とか気取りが出ない。それが「生粋の」ってやつでしょ、ハハハ。気合いが違いますよ。

サメ へえー。金子光晴はどんなこと、してたんですか。

長田 十代半ばで女郎買いをしたり、大学も2回くらい中退してるし、マンガンを掘り当てるために鉱山を買ったり、大借金したり。当時は今より、もっと封建的な時代で自由がないでしょう。でも平然とやってる感じがあります。こんな人って、今は、なかなかいないでしょうね。

サメ 長田さんも、あんまり「常識」とか「秩序」とかを気にしないタイプに思えますけど。やっぱりレベルが違いますか。

長田 そりゃそうでしょう。

サメ 鉱山とか買ってませんもんね。
 でも、まわりの人の反応をいちいち気にしないって部分は、ちょっと近いと思いますよ。

長田 みんな、礼儀とか、マナーみたいなものを超えて、 “秩序” みたいなものをすごく気にしてますよね。気にして、気にして……、 “調和” をずっと断続的に求めている感じがある。その根っこってなんだろうって考えたら、集団社会というか、 “学校” とかだと思うんです。集団にしっかり従うと、そうなっちゃう。その正反対に金子光晴とかがいるんですよ。

サメ 金子光晴は、集団に従わなかったってことですか。

長田 そう。全体主義の時代に、明らかに “歯向かっている” という感じです。僕みたいに、集団から逃げたり誤魔化すんじゃなくて……ハハハ。
 「おっとせい」なんて詩はすごいですよ。みんなはあっちを向いているけど、おいらだけは別の方向を向いているおっとせい、みたいな詩。「そのいきのくせえこと」って一文から始まってね。息、臭いんですよ、おっとせいって。びっくりするくらい臭いって有名です。

おっとせい

その息の臭えこと。

くちからむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしてること。

虚無をおぼえるほどいやらしい、

おゝ、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな

づづぐろいおもさ。かったるさ。

いん気な弾力。

かなしいゴム。

そのこゝろのおもひあがってること。

凡庸なこと。

〔中略〕

だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで、

侮蔑しきったそぶりで、

たゞひとり、

反対をむいてすましてるやつ。

おいら。

おっとせいのきらひなおっとせい。

だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで

たゞ

「むかうむきになってる

おっとせい。」

(『金子光晴詩集』岩波文庫 1991年 p.111-116)

サメ 文庫本の解説を読むと、この詩が入ってる詩集は1937年8月に出されたってありますね。日中戦争開戦直後……。

長田 彼は明らかに、自分の責任をもって、みんなと違う方向を向いている「おっとせい」なんですよ。
 僕は権力に対抗するのは面倒くさいなって思うタイプだから……、学校で合唱の練習をしているときなんかも、「歌いたくない!」って抵抗せず、口パクする程度です。ハハハ、なんか例えが離れすぎてるかな。

サメ 長田さん、この詩に合わせた絵を描いてくださいよ。「おっとせい」の絵。

長田 それはダメです。
 昔、漢詩の本を読んでて思ったんですけどね、詩に絵をつけたらダメなんですよ。
 詩人の詩というのは、あれで完結しているから、ある意味、一枚絵みたいなものなんです。詩に絵をつけるのは、品のない作業なんですよ。

サメ 長田さんにとって、詩に絵をつけることは、その詩に対しての敬意を損ねてしまうということですか。

長田 そう。僕自身が思いっきり両手で泥を塗っちゃうような感じです。
 オマージュとして、つまりアイデアをちょっともらって、新しい作品をつくることはあっても、あの「おっとせい」は、そのまま描いちゃダメなやつですよ。
 想像するのが楽しいんですよ、詩って。

サメ そっかー。
 ちなみに長田さんが金子光晴を好きなのは、その作品ゆえですか。それとも彼の生き方そのものですか。

長田 そんなの、どっちもですよ。どっちも本当に素晴らしいですから。
 個人でこれだけ大きな動きをしている人っていないでしょう。それで詩もできるし、絵も描けるし、人体に関心があれば、自分のケツに手をつっこんで自分のうんこも触りますから、金子さんは。ハハハ、気取ってないねって感じです。
 まあ、もう亡くなってるので会えないのが残念です。いや、会いたいのかなぁ……、どーなんだろ(笑)。

サメ ケツに……。そういう人の “家庭” は、どんなだったんですかね。息子を奥さんの実家に預けて、夫婦でマレー蘭印とかに行っているようですけど。

長田 ま、よく世間で言われてる “家庭” とは正反対のタイプの人ですよね。でもファミリーはいるし、孫とか、とくに溺愛してるんだけど。
 晩年には「若葉」っていう孫が詩に出てくるんですよ。一緒に海に行こう、海はおもちゃでいっぱいだ、みたいな素敵な詩がたくさんあるんですよ。つねに、居場所はここだけじゃないんだよって、詩でも言ってるんですよね。

若葉よ来年は海へゆかう

絵本をひらくと、海がひらける。若葉にはまだ、海がわからない。

若葉よ。来年になったら海へゆかう。海はおもちゃでいっぱいだ。

うつくしくてこはれやすい、ガラスでできたその海は

きらきらとして、揺られながら、風琴のやうにうたってゐる。

海からあがってきたきれいな貝たちが、若葉をとりまくと、

若葉も、貝になってあそぶ。

若葉よ。来年になったら海へゆかう。そして、ぢいちゃんもいっしょに貝にならう。

(『金子光晴詩集』岩波文庫 1991年 p.328-329)

長田 すごい反骨精神もあれば、ものすごい人間的な情とか優しさにも溢れているのが、詩を見たらわかるんですよね。 “家庭を顧みない” ってあくまでも世間の尺度ですから。この人って、誰よりも愛情深いんだなってすぐわかりますよ。だから僕も家庭を顧みないでいこうかなって(笑)。ハハハ、冗談ですよ。

「不安をケアする」につづく