少人数での作品づくり

長田 さっき加藤さんから、現在はミニマムに、1人でアニメーションをつくられてるって伺ったのが、気になったんですよ。

 デバイスとかの時代の変化もあると思うんですけど、《つみきのいえ》は1人じゃないですよね。

加藤 そうですね。アニメーションの作業スタッフは、15人くらいかな。

長田 15人というのは、多いほうなんですか? 10分くらいの尺では。

加藤 どうですかね。

 僕のつくったなかでも、一番多い人数をかけてつくった作品ではありますね。まあ、いろんなつくり方がありますよね。

 本当に1人でつくっちゃう人もいるし、アニメーションスタジオみたいなところで、短編をつくったりもしてるんですけど。ジブリなんかは、ジブリ美術館で流す劇場のために、そこでいろんな実験を兼ねてつくってたり。「短編」っていっても、本当に規模はいろいろなんです。

 僕も十何人のスタッフでつくって、監督だから、それをまとめていかなきゃいけなかったんですけど、本当に大変でした。スタッフみんなも大変だったと思うし。《つみきのいえ》は、ああいう形でしかつくれなかったっていうのはあるんですけど。

 最初に絵コンテを描いて、作画と背景とでパートを分けて。背景は僕が描いたんですけど、動画のほうは、原画を描く中心メンバーが3人いて、一番多いときは6人の作画のスタッフがいました。

 またそれぞれアニメーションの制作会社などで経験のあるアニメーターではないんです。だから、他の人のつくったキャラクターを描くことをもともと仕事にしてなくて、それぞれが、自分のキャラクターを動かすためにアニメーションをつくっているような人たちです。本当に寄せ集めのチームなんですね。《つみきのいえ》の企画のために集まったんです。だからやっぱり、それぞれの癖はすごく出るし、僕もそうだし。それぞれのおじいさんを描いてくるって感じで。

長田 ああー、そうなんですか!

加藤 だからそれをちょっとずつ直していく作業とかがあって。

 そのあと、鉛筆の線で絵に影をつけていく。手書きの感じを出すために、仕上げの鉛筆部隊って人たちもいて。その人たちが朝から晩までずっと、鉛筆で影をつけていくんです。

 そういうメンバーがこう、ギュウっと8ヶ月くらい実作業で、アニメーションをつくってて。やっぱりそれがすごくこう、大変な時間でした……。

 最初、描いた作画が動くときは、もちろん楽しさや嬉しさみたいなものがあるんです。でもやっぱり状況が進むにつれ、どんどんどんどん、「作業」になっていくっていうのがあって。

 絵コンテっていう設計図を書いて、そのゴールに向かってつくっていくっていう。みんな、ある種「システム」でつくっていかなきゃいけないんです。そうなると、なんか「作業」の割合がすごく増えちゃってるなって感じがして。これってなんか、もともとアニメーションをつくり始めたときの面白さと、すごく離れてきてないか、みたいなものを感じ始めて。

 それ以降、アニメーションの面白さとか、本当に描きたい動きとかを、もう一回、やり直したほうがいいって思って。30代にずっとそういう方向にチェンジして、1人か、多くても3人くらいの少人数制にしていったんです。

 もちろん、いろんな人達と描く面白さもあるんです。とくにアニメーション制作会社のシステムでつくることが前提のアニメーターってわけじゃなくて、個人でアニメーションをつくってる人だからこそ生まれる、面白い動きみたいなものもあるので。

 でもやっぱり、自分がアニメーションでつくりたい芝居や動きは、自分で描いて生み出していかないといけないなって思って。だからそういうふうな経緯で、少人数制なんです。

 作画自体もほとんど自分でやって、デジタル作業だけスタッフにお願いするのが、今のつくり方です。ほとんどパラパラ漫画みたいな形のアニメーションに、どんどん変わってきてるっていう感じがありますね。

 あと、今は全体の設計図を決めずに、細部の積み重ねでつくることを、ずっと考えています。

長田 やってるうちに尺が伸びてるってことは……。

加藤 あるんじゃないかなっていうふうに、僕は感じてるんです。

長田 そのアニメーションには、今もう、着手されているんですか?

加藤 今はまだ、構想段階ですけど。まだ言葉とスケッチの段階ですね。

長田 じゃあもう、加藤さんのなかで構築しているっていう。

加藤 そうそう。そっちは本当に自主制作みたいな感じで。

 公開するときは、配給に協力してくれる人を見つけなきゃとは思っていますけど……。そういうつくり方で、何か新しいものができないかなって思ってはいるんです。

長田 なるほど。それ(少人数制)は聞かないとわからなかったですね。

 でも1人でアニメーションをつくることって、ある意味、絵本を描くってことと、形態としては近いですよね。

加藤 そうですね。とっても近いと思います。

長田 それで、枚数が半端じゃなく違うわけですね。

加藤 そうですね(笑) 枚数が本当に多い。

 枚数をかけないつくり方もあるんですけど。今やりたいのは、どうしてもかかっちゃうつくり方になってます。予算や時間を度外視でつくっちゃうのは悪い癖で……。

長田 ははははは!

加藤 「効率って言葉を知らないのか」ってよく言われるんですけど……。

長田 でも、その邪魔されない楽しみっていうのはありますよね。

加藤 そうですね。やってて、肉体的にはすごくキツイんですけど、「作業」的な感覚でつくってないんです。

 基本的に「動き」をつくっているときは、なかなか上手く描けなくても、精神的なストレスはほぼないんです。

 悔しさというか、なんて言うのかな、できないことへの苛立ちは、もちろんあるけれども、ストレスの質が全然違うっていうか。「作業」をやっているつらさではない。動きをいかにつくるかに、気持ちが、より向かっています。

 その点では、アニメーションをつくってるってことに向き合えてる感じがあるんです。


アニメーションを始めたきっかけ

長田 ロボットに入られる前から、もともとアニメーションを意識されていたんですか。ご自身でつくられたり、携わっていたりとか。

加藤 大学3年のときに、アニメーションの授業があって。そのときに、とくに短編なんですけど、世界のいろんなアニメーションを観たんです。それは全然、技術的なことを教える授業じゃなかったんですけど、そのときの先生がすごく面白くて。

 3年の最初に、「1年間、こういう授業をやります」っていう、担当の先生たちがガイダンスする回があったんです。

 もともと基本的には、絵やイラストレーションが描きたくて、大学に入ったんです。だからそれまでは、アニメーションや、映像をやろうという気は全然なかったんですよ。

 ただそのときのガイダンスで、その先生がすごく面白くて。寅さんみたいな喋り方をするんです。

長田 寅さん?

加藤 べらんめえっていうか。江戸っ子口調です。すっごく体がでかくて。サングラスかけてて。

 で、「こういう授業やります」ってことを、面白おかしく話してて。それで「あ、この人の授業とろう」って思ったんですよ。それがアニメーションの授業だったんです。

 授業では、とにかくいろんな作品を観て。そこから「自分の絵を動かしたいな」って思うようになって。学生の頃から少しずつ、つくり始めたっていう流れではあったんですよね。

 ただまあ、それで「俺はアニメーションで食っていくんだ!」って感じでは全然なくて。なんていうのかな、「絵、描いたり、アニメーションつくったり、みたいな感じでやっていきたいな」って、ぼんやりとしてたんですね。あとは流れに身を任せて……って感じで。ものすごい意志があって決めたわけでもないです。

長田 今も、ぼんやりしてますか?

加藤 今はさすがに、もう40も過ぎちゃったんで……。「ちゃったんで」ってわけでもないですけど(笑)

 今はもう、アニメーション中心で物事を考えてますね。

 ただ体力はつけとかなきゃ。歳をとってからこれをやるのは、なかなか大変だぞっていう思いはあります。

長田 こういう仕事ってなんか、精神的な部分ってものすごく動的ですけど、体は、言ってしまえば滞っているじゃないですか。体は発熱してるんだけど、まったく動いてない。

 動いているのって、本当に利き手のわずかな部分で。あとはちょっと貧乏ゆすりとかくらいで。

 俯瞰して自分の姿見たら、ゾッとするだろうなって思うんですけど、これは職業的な宿命ですから。

加藤 そうですね(笑)


「描いちゃったんですよー」

長田 加藤さんの、アニメーションを始めた当初は「ぼんやりしてた」っていう感じ、僕もすごくわかります。インタビューとかで、よく聞かれるじゃないですか。「なんで作家になったんですか」って。

加藤 ああ、そうですよね。

長田 僕も「なっちゃった」みたいなことを言うけど、なんとなく通用しない感じがあるんですよ。聞いた側からすると、「なっちゃったー、じゃなくて……」みたいな。

 でも今、仰ったサングラスのべらんめえさんとの出会いとか、そういう出会いが動機になったり、人との出会いのなかでちょっとやってみたら、自分の「質」と合ったとか、ちょっとやって、やめられなくなったっていうのも「なっちゃった」じゃないですか。

加藤 そうですね。

長田 僕は今でも「しっかりとした動機」に、なんとなく反発があるというか……。

 「なんでですか?」ってことに応えることは、創作としても、やりたくないなって思うんですよ。

 それより僕は、動機うんぬんよりは、例えば「ボールを蹴って、ボールを食ってる、ボールを目に入れても痛くない」みたいな話の絵本をつくってしまいたい。理屈ぬきな感じ。そういう「あっ、くだらないよ」みたいな要素のほうが、断然大事だと思うんですよ。もちろん、面白ければですが。

加藤 いやぁ、そうですよね。

長田 それがなかなかね、言ってもね、伝わらない。「いや、ボールを目に入れようって、子供の前で言えますか」みたいなことを訊かれたら、「ちょっと待って、冗談冗談!」みたいにしか言えない。

加藤 「それはなんのためにやるんですか!」みたいなね。

長田 「ボールを目に入れよう!」って普通の言葉にすると、やっぱり角が立つんですよ。「なんのためにやるんですか?」ってなっちゃう。だからそれを作品で表現して、「まあまあ、落ち着いて」みたいなところをつくってしまえるんです。

加藤 そうですよね。「描いちゃった」っていうことで良いんですよね。

加藤久仁生

長田真作

長田 そう、「描いちゃった」。「ちゃった」「ちゃった」ということで。

加藤 「描いちゃったんですよー」で(笑)

制作のリズム

長田 絵本では24ページ、あるいは32ページっていう、ページのリズムがどうしてもあります。僕、最近はずっと、リズムについて考えていたんですよ。

 長編映画というのはまた、ストーリーに身をゆだねられますけど、短編だとリズムを意識するのかなと思ってて。例えば「動き」でも《つみきのいえ》の約10分のなかで、どこを盛り上げるポイントにするかってあるじゃないですか。

 加藤さんはそこら辺のリズムを明確にもってて、それを起点に絵本とかいろんなことを、やってらっしゃるのかなって思ったんです。でも今日伺ったら、なんか違うみたいで、「あれ?」って感じになって。

加藤 すみません(笑)

長田 いやいや、それは「あ、そうなんだ」って驚いています。リズムはあんまり気にしてないってことですかね?

加藤 うーん、最初から決めてはいないですかね。

 結果的に、1分でも15秒でも、つくればリズムは絶対出てくるんですよね。動きっていうのが起点になってるんで。ただ最近は、その芝居をどのくらい、何秒にするかっていうのは、最初に決めないんですよ。

 まあ正当なつくり方では、カットを決めて、ここは5秒とか、ここは10秒とかって設計図をつくっていくんだけど。でも今は、描きながらそこら辺のリズムをつくっているって感じに近いかもしれないですね。質問の答えとしては。

 スタジオとかで、アニメーションを何人かでつくる場合、だいたい「原画マン」っていう、おおまかな絵を描く人がいます。投げる動作だったら、「投げ始めの姿」「投げる途中の姿」「投げ終わりの姿」っていうのを描く原画マンがいて、その間(あいだ)を「動画マン」が細かく滑らかに動いて見えるように割って描く。それで「投げる動画」ができあがるっていう、1つの作業というかシステムがあるんです。

 でも今、僕はもうほとんど、中を割って描くっていう描き方じゃなくて、投げ始めから順番にずっと描いていくんです。

以下、《つみきのいえ》のおじいさんをモデルにした作画の例。 ©ROBOT

*作画例の続きはこちら(番外編:釣りをするおじいさん)をどうぞ

長田 ああーなるほど!

加藤 そうして描いていくと、自分の動きを本当につくっていく感じになりますよね。芝居も同時につくっていく感じです。

 ボールを投げるシーンの描写を、最初は「投げて終わりにしよう」と思ってたけど、「あっ、投げて、取り損ねるっていう芝居にしたい」ってなったら、描きながらどんどんつくっていくっていう。それで生まれるのが「リズム」ってことになるかもしれないし、その延長が「作品のリズム」になるんだと思うんですね。

長田 盛り上がったら18回裏までやっちゃって、300分みたいな。「これもリズムです」って。ああ、それも良いですね。

加藤 そうですね。まあ、大変ですけどね、描くの(笑)

 でも大変だと思って描かないってわけにはいかないと思うんですよね。体力や時間など現実的な問題はあるけど。

 描きながら動きをつくっていく、リズムをつくっていくというのは面白いなって感じています。

長田 実写でいう「順撮り」みたいなものを、自分の感覚で積み上げていってるってことですね。

加藤 なんとなく、そういうことに近いですね。

長田 もう、予想とまったく逆でした。

加藤 すみません(笑)

長田 いや、だから面白いんですよ。

長田真作×加藤久仁生(4)へ続く