絵本作家 長田真作による対談企画
「あっけらカント −ぼんやり てつがくする おしゃべり−」。

言葉にできずにいた ぼんやりとした思いを
おしゃべりしながら 見つけていきます。

対談第1回目のゲストは、アニメーション作家の加藤久仁生さん。


プロフィール

長田真作

1989年、広島県呉市生まれ。高校卒業後に上京し、障がい児学童保育のNPO法人「わんぱくクラブ育成会」勤務を経て、絵本作家となる。

ファッションブランドやミュージシャンとのコラボ、渋谷・ヒカリエでの絵本原画個展の開催(2018年1月)など、活動は多岐に渡る。

著書に『すてきなロウソク』『きらめくリボン』『いてつくボタン』(アカルイセカイ三部作、共和国)、『光と闇と−ルフィとエースとサボの物語−』(集英社)、『ぼくのこと』(方丈社)など多数。


加藤久仁生

1977年、鹿児島県生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、株式会社ロボットに入社。同社のアニメーションスタジオCAGEを経て、現在、フリーランス作家として活動中。

主なアニメーション作品に《或る旅人の日記》《つみきのいえ》など。絵本作品『つみきのいえ』『えきのひ』『あとがき』(すべて白泉社) も刊行。

《つみきのいえ》は、第81回アカデミー賞短編アニメーション賞、アヌシー国際アニメーション映画祭アヌシー・クリスタル賞ほか、多数の賞を受賞している。


*対談は、神奈川県川崎市にある、長田氏のアトリエにて行われました。

鎌倉の自然と吸引力

長田 今日は鎌倉からお越しいただいて、ありがとうございます。
 鎌倉はどうですか?

加藤 鎌倉はすごくいいですね。東京から引っ越してまだ1年ちょっとなんですけど、とにかく四季をばっちり感じられるっていう。

 僕、出身が鹿児島なんですけど、住んでたのは、新しく増築された団地だったんです。

 今は、周りに山川があって、まあ住宅地ですけど、自然がまだ残っています。そういうところに暮らすのは、すごく新鮮で、鹿児島にいるときよりも自然を感じてます。

 それと、話には聞いてたんですが、虫がめちゃくちゃ多かったり、湿気がすごいとか、暮らすにあたっては、それをバシッと体感する大変さもあります。でも、それこそ新しい生活って感じです。

 東京の暮らしも好きだったんですよ。でも、ちょっと場所を変えてみたいなという感じもあって。暮らしてみると、鎌倉との相性がすごく良かったんですね。

長田 ちょっと俗っぽい質問ですけど、やっぱり時間の流れの体感とか、変わりましたか?

加藤 どうですかね……。

 アトリエ兼自宅は谷間にあって、日が陰るのが、冬場はすごく早いんですよ。15時過ぎると陰ってきちゃって。前はマンションで、日当たりが良かったんですけど。

 逆に、夏になると日は延びるんですよ。あと東側が山の斜面なんで、朝日がばっちり入るとか、そういうところじゃないんですよ。

 そういう意味では、前と比べて日照時間が短くなってる。でも、季節の光の変化は感じられると思います。

長田 移転先は、感覚的に「鎌倉にしよう!」って感じで選んだんですか? 「故郷と自然を求める」じゃないですけど。

加藤 そうですね。

長田 ここら辺もそうですけど、自然っていうと、ちょっと街中から離れたら、いろいろあるじゃないですか。やっぱり何かあるんですか、鎌倉みたいなところは。

 鎌倉には、いろんな方がいらっしゃるじゃないですか。いろんな方が、いろんな鎌倉のことを仰ってますけど、吸引力みたいなものがあるのかなと思って。

加藤 僕、奥さんと2人暮らしなんですけど、奥さんのほうは、若い頃から小津安二郎の映画が好きなんです。鎌倉には、昔は大船の撮影所があったり、小津監督も北鎌倉に住んでたりして。そういうゆかりがあって。それで結構遊びに行ってたり、「鎌倉いいね」ってことも言ってたりしていて。

 あと、保坂和志さんの『季節の記憶』を読んだのが個人的には大きくて。小説での風景描写や、登場人物たちが生活している「時間」とかが、すごく良くて。

 1日、山を散歩して、そのあと海に行って、自然とともに考えている……みたいな。その「時間」がすごく良くて。なんか生き生きとした日々があって。そういうので、なんか鎌倉という場所で生活してみたいって思いが、まずあったんですよね。

 移転は、これっていうピンポイントの理由があるわけじゃないんですけど、そういうことがいろいろ混ざったうえで、決めたんです。場所を変えたいなという思いもあって。それから、せっかくだったら自然も多い、今までと全然違う場所がいいなっていうのがありました。

長田 じゃあ加藤さん、今はご自宅で作業されてるんですか。

加藤 そうですね。

長田 東京に出てくるってことは、仕事関係でも、そんなにない感じですか、今は。

加藤 ほとんどないですね。打ち合わせでたまに来るとか。

長田 じゃあ、僕とほとんど一緒ってことですね。

加藤 ここに住まわれているんですか?

長田 ここが自宅兼アトリエみたいな感じです。もうここで、すべてが行われている状態です。ずっと自宅作業でやられている方と、なかなか出会わないから、今日はちょっと嬉しいな。

 どういう作業工程でつくられるんですか? 映像をつくるとなったら、家で活動するだけじゃないと思うんですけど。

加藤 でも今、家だけなんですよ。

 アニメーションの制作は、少人数でつくるスタイルになってきてて。今の仕事は1人でやってます。ただ、いろいろやっていくうちに、やっぱりちょっと1人だと制限も出てきますね。アニメーションをつくるというのは、物理的な作業量が多いので。そうなると、もうちょっと人を入れたいなということも、場合によっては出てくると思うんですよ。これからどうするかなということは、考えてはいるんですけど。

長田 じゃあ、今は完全に1人でやってらっしゃって、やっぱり短編のアニメーションが中心になっているんですか。

加藤 そうですね。本当に最小限のスタイルでも、できることはできるんです。短いからできるっていうのは、あるんですけど……。

長田 そうなんですね。

 こうやっていろいろ聞いていきます(笑)。 お話を伺うのは、やっぱりとっても新鮮ですね。

《つみきのいえ》企画の立ち上がり

長田 加藤さんは、短編映画と絵本をつくられていますよね。《つみきのいえ》という作品は、映画と絵本、両方があります。

短編映画《つみきのいえ》DVD(2008年公開) と
絵本『つみきのいえ』(白泉社、2008年) ©ROBOT

水没した土地で、積み木のように増築された家に暮らす
おじいさんの物語。

長田 《つみきのいえ》は、先にアニメーションをつくられたじゃないですか。これは自主映画としてつくられたものなんですか?

加藤 僕、今はフリーランスなんですが、その当時は会社に所属してて。《つみきのいえ》は、2006年から2007年にかけてつくったんですけど、その2000年代から中盤あたりは、わりとショートフィルムのオムニバスみたいなものが企画ものとして、つくられたっていう時期なんです。「ショートフィルムで、若い監督たちにチャンスの場を!」みたいなことも含まれているんですけど。

 その流れで、「会社が企画したオムニバスのアニメーションで、何かやりませんか。監督やりませんか」って、プロデューサーからオファーがきて。それでつくろうっていうのが、きっかけなんです。

 完全な自主企画というよりは、10分の企画もの。だから、一応オーダーはされたけれど、自由もそこそこあるっていうつくり方で始まったのが、制作の経緯ですね。

長田 そうなんですね。

 それでこの、絵本の文章を書かれている平田さんと、タッグを組む感じで始まったんですか。ストーリーテリングとアニメーション、みたいな形で。

加藤 そうなんです。

 平田さんも、当時の僕と同じく「株式会社ロボット」という会社にいて、そこの脚本家でした。(平田さんは今も会社に所属してます。)その平田さんと組んでやらないかっていうのが、プロデューサーからの提案でした。

 昔、その会社の別枠みたいなところが、アニメーションをつくっているメンバーだけのスタジオみたいなものをもっていて。祐天寺の小さな古い民家を1軒借りてやってた時期があったんです。そのときに、席が1つだけ余っていたので、アニメーションをつくっている人じゃないけど、脚本を書いている平田さんが入ったんです。

 そういう意味で、平田さんとは顔なじみではあったんですよね。僕自身は、会社内であんまり他の人と交流していたほうではないんですけど、平田さんとは、たまに世間話をしたり飲んだりしてた仲ではあったんですね。それまで一緒に仕事をしたことは、なかったんですけど……。だから、《つみきのいえ》のスタートも、顔合わせからっていうわけじゃなくて。話はすぐ進みました。

長田 平田さんと、こんなところで会うとは、という感じでしょうか。

加藤 そうそう。まさか一緒に仕事するとはって感じでした。

長田 じゃあその企画が決まって、そこからストーリーを平田さんが組み立てて……。企画から後発的に生まれた作品ではあるということですね。

加藤 そうですね。

長田 アニメーションが2008年に公開されて、遅れて「絵本化」したという流れですか。

加藤 そうですね。最初はもちろん、アニメーションだけって話だったんですけど。

アニメーション作品の絵本化

長田 アニメーションの《つみきのいえ》には、言葉、台詞がないじゃないですか。映像だから音楽はありますけど。

 一方で絵本化するときは、言ってしまえば、コマ数が21見開き(42ページ)に、究極的に凝縮されて、圧縮合金みたいになると思うんです。

加藤 そうなんです、そうなんです。

長田 僕は、絵本のアニメーション化はやったことないですから、その「逆算の作業」っていうのは、どういうものなんだろう、理屈というより感覚的にどうだったんだろうなと思って。

加藤 そうなんですよね。映像が絵本より先だとすると、またさらに編集するというか、削っていって……。かなり削ったのが絵本だと思うんですよね。映像と絵本は全然違う表現なんで、直線的な流れで話すのは、ちょっと難しいんですけど……。

長田 どこを使うか、究極の選択がずっと続く感じですよね。絵本では使わなかった場面も、もちろんあるわけで。

加藤 ええ。

長田 その使われなかったっていう間(ま)の部分を、言葉で補完するわけですよね。もちろん、アニメーションで描かれた所作は、補完しきれないところが、あるんだと思うんですけど。

 僕の印象としては、アニメーションと絵本では、またちょっと違う空気が見えるなと思って。色調もそうですけど。やっぱり色調も、あえて少し変えたんですか?

加藤 そうですね。同じことはしたくなかったっていうのが、1番にあって。

 アニメーションは、チームで本当に1年間、つきっきりでやったんで、もうお腹いっぱいだったりする。「もうこれ以上はいいや」みたいな感じもあって。

 ただ、アニメーションでは10分っていう尺が決まってたんで、(ま、ちょっとオーバーしちゃったんですけど、)押し込めたっていう感覚もあって。描いていない部分っていうのが、アニメーションの時点ではたくさんあったんですよね。

 平田さんと絵本をやる話になって、「じゃあやっぱりアニメーションではできなかったことを絵本でやろう」っていうのが、1番最初にあったんです。ページ割りとかも、平田さんと話し合いながらやっていったという感じです。

 アニメーションでは、主人公のおじいさんの生活というか、そこにスポットを当てて描いた感じがあって、それは絵本でもそうなんですけど、もうちょっと違う時間、他の人たちの生活も、たくさんあるはずで。

 あまり生々しい部分は絵本と合わないだろうけど、でもやっぱり「生活している感じ」っていうのは丁寧に描けるんじゃないかな、みたいなことを話しながら、描いていった感じですね。

絵本『つみきのいえ』の一場面  ©ROBOT

長田 ちょっと俯瞰じゃないですけど、人々の生活が描かれていて。で、文章も相まって、生活が見えるような形になっているんですね。

加藤 やっぱり昔は、おじいさんの周りにご近所さんもたくさんいただろう、みたいなこととか。

長田 なるほど。

加藤 アニメーションをつくっていたときと、またちょっと違う気持ちで取り組んだっていうのはありますね。

 だから、単純にアニメーションを削って絵本にしたわけでもないんです。

《つみきのいえ》と長田真作の出会い

長田 遡ること2008年、僕が高校3年生のときなんですけど、姉が東京の美大に通ってて。当時姉は、加藤さんのアニメーションとか、いろんなものを観てたんですよ。僕はそのとき、部活動のソフトボールばっかりしてたから、全然絵も描いてなかったんですけど。

 それで、ひょんなことで、姉は夏に実家(広島)に帰ってきたとき、広島国際アニメーションフェスティバルに行ったらしいんですよ。そのとき、《つみきのいえ》が公開されてますよね?

加藤 してます。

長田 姉はそれに行って、《つみきのいえ》がすごく良かったって言ってて。

 僕は、アニメーション祭で上映しているやつは観れなかったんですけど、姉の話がずっと頭に残ってて。姉は、もうとにかく「良かった良かった」って、ずうっと言って。

 そのあと、僕は18のときに東京に出てきて、《つみきのいえ》のDVDを観たんです。

 僕はそんなに映画を本数観るほうじゃないんですけど、そもそも短編映画っていうものに、それまであまり意識がいってなくて、一言で言うなら「びっくりした」んです。

 《つみきのいえ》には台詞とかが、ないじゃないですか。台詞がない分、登場人物の動作というか「所作」にとっても目が行くなぁって思ったんですよ。

 僕の感覚で言うと、実写より、絵によってデフォルメされてるからなのか、僕、あのおじいさん大好きになっちゃったんですよ。

加藤 ははは。

長田 絵本では「所作」を描くのが難しいじゃないですか。それはたぶん、絵本とアニメーションの、要素としての違いだと思うんです。

 僕ね、アニメーションのしょっぱなの、おじいさんがハッと起きて、サイドテーブルのパイプを取るっていう、あそこでうっとりしちゃったんですよ。普通、起きたらまず、メガネとかを取るんじゃないかなと思って。あと水差しとか。

加藤 そうですね(笑)。

長田 おじいさんは起きた瞬間、パイプを取って……、不機嫌とか、なんとかじゃなくて、絶妙な顔でいる。

 文章で、過去とか、背景とかを描かなくても、ああいう「所作」で描けちゃうっていうことに感動したんです。僕は今、絵本をやってますから、さらにそれを感じてしまうんですよね。ちょっと悔しいくらい……。

 で、アニメーションでは、おじいさんが水の奥底にパイプを落とす場面があるじゃないですか。パイプがいかに大事だったかっていうのがわかるのが、落としたあとに、しばらく水から顔を上げないシーン。腰が悪いだろうに。

加藤 そうそう(笑)。

水に顔をつけるおじいさん 《つみきのいえ》©ROBOT

長田 あのシーンとかも二重、三重でうっとりしてしまいました。

 普通こう、フワって屈んで(水に顔をつけて)、バサって(顔を上げて)。自分のほうを大事にする。でもおじいさんはバサっていかずに、しばらく、いけるとこまで……。どうせ取れないのに。

加藤 そうそう(笑)。

長田 ずーっと、落ちているパイプを見ているっていうのを、例えば絵本の絵でやったら、「落ちていくパイプを、しばらく顔を水につけて、彼は見ていたんです」って言葉で補完せざるを得ないと思うのですが、それじゃダメなんですよ。絵本というのは、ああいう「所作」を、ある意味封印せざるを得ないと思うんです。

加藤 そうですね。そこはすごく難しいところですよね。

長田 そこらへんの機微を、今日はいろいろ伺いたいなと思ってたんですよね。

加藤 そうですねぇ。うまくいったかどうか、わかんないんです。自分でも。

 やっぱり絵本というのが原作としてあって、それをアニメーションにする、引き延ばすっていうほうだったら、いろいろな余地があるんですけど、削ぎ落とすっていうのは難しくて。

 絵本を描くこと自体が初めてのことだったんで、やっぱりそこら辺は、すごく難しかったんですよね。

 ああいうサイレントのアニメーションは、いろいろデフォルメした芝居ではあるんですけど、パイプを落としたときの、ああいうちょっとした仕草や、間(ま)というか、時間とタイミングで、あのパイプがどれだけ大事なものかっていうのを、なんとなくわかってもらえるように、時間をつくっていける。芝居をつくっていけるんです。でもやっぱり絵本でそれをやるのは、すごく難しくて。

長田 難しいですよね。

加藤 「あのパイプは、思い出の、大切なものでした」みたいなものは、言葉ではダメじゃないですか。一番大事なとこであるがゆえに難しくって。

 やっぱり平田さんと話したとき、「これ、文章で説明できないね」ってことを話してて。

 だから絵本では、もうちょっと必然性のあるように、おじいさんが海のなかに潜る「きっかけ」になるように、パイプじゃなくて「大工道具を落とす」っていうことにしちゃったんです。そこに時間と芝居が使えないからこそ、できるだけ自然に見てわかるよう、そこは、変えたところではあるんです。

加藤 そこはアニメーションとの大きな違いだし、絵本の難しさだなと感じていて、いろいろ悩んだっていうか、考えたところではあるんですけど……。

長田 パイプが大工道具になっているから、ここの思い入れの強さをね……。こういう作業になったんだろうなっていうのも、僕も絵本をやってるぶん、読んですぐ、そこだけはわかりました。

 あと、映画では落としたパイプの代わりに、新しいのをおじいさんが買おうとする場面もあるじゃないですか。あそこら辺もなんか……、あの選び方っていうのも熟練しているんですよね。「あれ(落としたパイプ)に、なかなか勝てるものがない」っていうのも見えるし。

加藤 ははは。

長田 もう1個、やっぱり加藤さんの「所作の妙」だなって思うのは、玄関を開けるシーン。おじいさんが朝起きたあと、玄関を開けたら、防水袋のところまで水が張ってる。

玄関のシーン 《つみきのいえ》©ROBOT

長田 例えばテレビドラマだったら、「まずい!」とか言うわけじゃないですか。(まあまあ、それはそれで良いんですよ。)「まずい!」みたいな台詞を言う。

 でもおじいさんは、こう、頭掻くじゃないですか。それで成り立ってしまう。

加藤 ははは。

長田 僕はもうね、参ったなぁと思って。

 あれを描くのは本当に楽しい作業だろうなって思います。もちろん作業自体は大変でしょうけど。あれ、加藤さんはにっこり笑いながら、描いてらっしゃったのだろうなって。要は楽しみが伝わっちゃう。

 さっき仰ったように、ストーリーがないぶん「所作」が邪魔されず、そっちが引き立ってしまうんだろうと思います。観る側は、一瞬のこれ(頭を掻く)にちゃんとフォーカスできる。

加藤 そんな、汲んでくれて本当にありがとうございます(笑)

長田真作×加藤久仁生(2)へ続く