広島市現代美術館のエントランスから階段を降りていくと市内(爆心地の方角)が望める。

原爆と創作

小山田 でもこういうこと言うと、「じゃあそういう小説を書くのはどうですか」「原爆をテーマに」とか言われることがあります。私も被爆3世なんで「3世を主人公に」とか。でもそれは違うんだよなっていうか、企画として原爆の悲惨さを作品に組み込むっていうスタートで私はまず小説は書けない。さっきも言ったようにプラン通りには書けないし、書いた結果そうなったってことは今後あるかもしれないですけど、それをスタートに書くのは違うと思う。そうやって書いても、私の場合はいいものにならないと思います。

 でもなんていうのかな、すごく圧を感じるんですよね。「しなさい」「してください」って。被爆者の方とかも両手握手してくれながら「書いてくださいね」っておっしゃるわけです。その思いはめちゃめちゃわかるし責任も感じるし、いつかはそういう時期が来て書くことができるかもしれないし私もそうできたらいいと思うけど、ごめんなさい、それは今の私にはまだすごく難しいというか。

長田 いや、そうですよね。

小山田 私の書き方として、「書くべきだ」から発することはできないんだっていう……。

長田 経験した人と経験してない人とはまったく違いますよね。

小山田 そう。

長田 確かに3世っていうか僕らは、自分が被爆してるわけでもないし被害に遭ってるわけでもないから、やっぱり越えられないラインってありますよね。

 僕個人としては、今たとえば原爆資料館(広島平和記念資料館の通称)とか呉の大和ミュージアムとかに行ったりして、いろんな知識を付け加えたりできますけど、それぐらいだな、それ以外は子供の頃からととくに変わらないなと思ったりします。呉という特殊な地域で育ったり被爆者の方の証言を聞いて、いろんなものは実感として伝わってくるけど、広島県民でさえ越えられない、経験者かそうでないかっていう差はあまりにも大きすぎる。同じように僕もね、「原爆のことを描いてみませんか」みたいな声掛けがあるんですよ。

小山田 ありますよね。

長田 これはまあ難航しますよね。普段「即興で描いてます」みたいなことを言っていても、こんなに難しいかっていうか。

小山田 あ、試みられた?

長田 そうです。1度取り組んでみようとしたんですけど、どういう視点でいけばいいかって決まらなかったです。僕自身が今みたいにふわふわしていて根っこみたいなものが見つからない。僕も小学校のときから平和教育の授業として、被爆した方とかいろんな方から同じく手を握られて「しっかりお伝えなさい」みたいに言われたり、祖母、祖父とかから戦争体験や疎開先のこと、海軍工廠のこととか、いろんなことを聞いてきたんですけど、それはやっぱり個人的な体験なんです。いや、この「影」はちょっと重すぎるなっていうので……。

小山田 長田さんの作品でたとえば『すてきなロウソク』『きらめくリボン』『いてつくボタン』の三部作とかもきっと「広島の影響を受けている作品でしょう」とか言われたりしますよね。反戦などの伝えたい思いがあって、広島出身で……みたいな。

長田 まあまあ、ありますよね。でももちろん僕は直接的にそういうことを描くつもりではなくて、全体としてはそう見える形になったかもしれないな、ぐらいです。自分としては、そうも見えますねくらいの感じなんですけど……。

描かれる広島

長田 呉について言うと、特殊なところに育ったなという意識はあります。もう右にやくざの子供、左にやくざの子供、みたいな中学生活でしたからね。

小山田 あ、ほんとですか。

長田 やっぱり僕の時代はまだそういうのがあって。でも彼ら、普通の子ですよ。

小山田 子供ですからね。

長田 東京でそういう話をしたら、「え、なんか怖い」とかって言われますけど普通の子だし。やんちゃな子も時々いますけど、そうじゃない子も多い。やっぱり呉って、戦後進駐軍が入ってきて土地性みたいなものが1回様変わりしたところだから、そこらへんは特殊ですよね。《仁義なき戦い》(呉が舞台)みたいな感じの……まああんな映画のようなきれいな世界ではなく、もっとひどかったと思うんですけどね。

小山田 やっぱり好きで選んだわけじゃない、でも大切にも思っている土地でずっと暮らしていることは、意識してないにしても作品に影響しているように思います。だから「広島のこと書かないんですか」とか「おばあさんの被爆体験を」とか言われると、書いてないけど書いてるんだよという気持ちもすごくありますね。『穴』には別に被爆者は出てこないけど、小説のなかのあのおじいさんとか被爆者かもしれないというか。子供たちだっていつの時代の子かわからない、もしかしたらそのときの子かもしれないというくらいの。

長田 そうですね。

小山田 それを大っぴらに言うとまたちょっと批判をされるかな、向き合ってないみたいに受け取られるのかなとも思うんですけど……。私は本当に広島しかほぼ知らない。旅行に行っても最大で10日ぐらいしか広島を離れたことが人生にないので、私が普通のことを書けば広島のことなんだっていう思いもあるんです。でも「戦争のこと書かないんですか」って言われると、誰が読んでもそうわかるような形ではまだ。

 調べたことを書くのがすごく嫌なんですよ。経験したことしか書きたくない。経験してないことも、経験したような気がすることであればいくらでも書けるんです。でも本見て、取材で話聞いて、録音したやつのことを作品にはやっぱできなくて。デビューしてしばらくはできると思ってたんですよ。小説家になったからにはやんなきゃって。でも本当に書けなくて。私、2010年にデビューしたので今13年目とかなんですけど、やっと、やってもできないんだ、できないものはできないんだって思うようになってきました。

 なので「原爆のこと書かないんですか」「戦争をテーマに」って言われると、書いてないけど書いてるんだっていう、よくわかんない自負みたいなものがすごくありますね……。でも声高にそうとも言い切れない気持ちもあって。でもいつか、読んだり聞いたりしたことが自分の経験だと感じられて、作品に出てくるかもしれないとは思っています。

長田 僕も原爆のこととかってあまりにも長く抱えすぎてるから、簡単に「次世代として新しい視点をもとう」って言われても、そうは問屋が卸さんよみたいな感じですね。変に重く捉えすぎてるところもあるんでしょうけど。

小山田 いや、そうなりますよ。

長田 僕らの世代とか戦争を知らない人たちが平気で「平和とは良いもので戦争は良くないものだ」って言うけど、僕からしたら、いやそれって昔から言われてることでしょって思うんです。それ知ってるよ、それでも今も凄惨なことが起こったりすることについて、あなたどう捉えるの? っていう疑問が残ってしまう。だから「これは平和を描いた絵本なんです」ってものを出すのもなんか……。

 こういうことって、小山田さんは毎日見ている景色かもしれないですけど。

小山田 だから逆に気づかないことばっかりなんですけどね。1回人生のどこかで、広島の外で住んでみたいなと思うんですけどね。やっぱり磁場っていうか、その土地だけの風土とか記憶の堆積によって生まれる歪みとか力って絶対にあって、空気もそうだし人も気質もそうですし、作品には本当は全部影響してるんですよね。受け取り手がそれに気づくかどうかはまた別だし、書き手も気づいてないかもしれないけど。そういうのはすごくあるよなっていろいろ思いますね。

長田 僕もこれからどんどん外の世界を見たいですね。いろんな磁場に出向いて味わいたいです。できればあんまり知られてないところがいい。それは日本でも外国でも。

(了)