絵本作家 長田真作による対談企画
「あっけらカント −ぼんやり てつがくする おしゃべり−」。

言葉にできずにいた ぼんやりとした思いを
おしゃべりしながら 見つけていきます。

対談第3回目のゲストは、本屋の店主・落合博さん。

プロフィール

長田真作

1989年、広島県呉市生まれ。絵本作家。
著書に『まろやかな炎』(303BOOKS、2022年)など多数。

落合 博

1958年、山梨県甲府市生まれ。Readin’Writin’ BOOK STOREの店主兼従業員。新聞社の記者や論説委員を経て、2017年、58歳で本屋を開業。著書に『新聞記者、本屋になる』(光文社新書、2021年)など。

今回のゲストは東京・田原町の書店 Readin’Writin’ BOOK STOREの店主、落合博さんです。
長田さんは絵本『すてきなロウソク』(共和国、2018年)を出版した際、こちらのお店でトークイベントに登壇したことがありました。
落合さんは本屋の店主であり、元新聞記者。絵本を描く長田さんと「読むこと」「かくこと」について、どんなおしゃべりが始まるのでしょうか……。

対談はReadin’Writin’ BOOK STOREの
2階(写真上部)で行われました

Readin’Writin’ BOOK STORE:昭和30年代の材木倉庫をリノベーションしたすてきな本屋さん。
2階は畳敷きなので、靴を脱いでゆっくりできます。
書籍を販売するほか、トークイベントやライティングの個人レッスン、古本市なども開催中。
詳しくは http://readinwritin.net をご覧ください。

長田 お久しぶりです。改めて、よろしくお願いします。

落合 こちらこそ、よろしくお願いします。今回の対談のお話を伺ったときは、相手が僕でいいのだろうかと思ったのですが……。

長田 もちろんです。実は僕と落合さんのあいだには、以前ここのイベントに出させていただいたほかにも、繋がりがあるんですよ。去年、僕が父親と話していたとき、たまたま落合さんの話が出たんですよね。

落合 えぇっ?!

長田 僕の父は落合さんと同い年で、1959年3月生まれなんです。

落合 そうなんですか! じゃあ学年としては同じということですね。

長田 はい。父は定年退職するまで、広島で学校の教師をしてました。で、父親はいろんな新聞とか本を読むのが結構好きで、落合さんの新書『新聞記者、本屋になる』を読んだらしいんですね。

※『新聞記者、本屋になる』落合 博(光文社新書、2021年):新聞記者時代の経験や Readin’Writin’ BOOK STORE 開業のいきさつ、本屋を続けていく工夫などについて書かれています。

長田 父は読んで、「同級生ですごくおもしろい人がいる。東京に行った際には落合さんの本屋に行きたい」って、僕に言ってきたんです。

落合 ありがとうございます、ぜひぜひ。僕、長田さんのお父さんと同い年ですか……(笑)。

長田 あとそれから父親と同じく教師をしていた、そして同い年の友人で、田中さんという人がいるんですけど、その人が定年退職して、2年前くらいにUNLEARN(アンラーン)という本屋を広島県福山市で開業したんです。

落合 ええっ?! UNLEARN、もちろん知ってます! 以前、田中さんがここに来てくださったことがあったんですよ。そのとき僕はちょうど店にいなくて、店番をしていた別の人が田中さんとお話をしたんですけど、その後Twitterで繋がりました。田中さんって、長田さんのお父さんと友達なんですか!

長田 高校の同級生なのかな。そんなつながりで、田中さんがUNLEARNを設立するときに、僕がお店のロゴマークを描いたんです。あとオープン記念に、田中さんと僕とでトークショーをやったりしました。田中さんの場合は「教師、本屋になる」ですね(笑)。

※本屋UNLEARNのロゴマーク:長田さんは中央の絵を担当。上下の文字は広島県福山市のデザイナーさんによるものです。

落合 それはそれは(笑)。今、お話を伺うまでは、まったく知りませんでした。

Readin’Writin’ BOOK STOREのレジ前にて

「嫌いな言葉は夢と勇気と感動です」

長田 『新聞記者、本屋になる』のなかに「〔僕の〕嫌いな言葉は夢と勇気と感動です」って台詞がありましたよね。あれは一体……。

落合 ああ、あれは、毎日新聞社の論説室に配属されたときの言葉ですね。僕、その前はスポーツの取材をしてたんですけど、50歳を過ぎたあたりで「論説委員」になったんです。これは新聞の社説というものを書く仕事です。

 それで、論説室で「今度新しく入った落合博さんです」みたいに紹介されたので、「僕の嫌いな言葉は夢と勇気と感動です」って言ったんです。スポーツってなんか、「多くの人に夢と勇気と感動を与えたい」みたいなことをアスリートも言うし、新聞、テレビのようなメディアも、そういう書き方をすることが多いですよね。それに対して僕はすごく違和感をもっていたんで、あえて言ったんですよ。これってそんなに変わったことですかね(笑)。

長田 興味深いです。

落合 なんかね、あまりにも軽く、簡単に、アスリートが「僕の/私のプレイで勇気を与えたい、感動を与えたい」って言うけど、それって言葉の使い方、間違ってるんじゃないかなって思ったりするんです。感動って、そんなこと言われてするもんじゃなくて……ねえ。大きなお世話よって……。いや、すごいプレイに対して「すごい」とは思いますけど。まあ僕、基本的にへそ曲がりなんです。

長田 確かに「感動を与えたい」って、要は受け手の現象や感情を先に言ってしまうことですもんね。

落合 本当にそうだと思います。でもスポーツと「夢と勇気と感動」を結びつける考え方って、そんなに昔からあったわけではないと思うんですよ。僕が記者として働き始めた1982年ごろは、たぶんそういう言い方はしていませんでした。

 それに関しては僕、結構いろいろ調べて、記事にも書いたことがあるんです。1993年のサッカーワールドカップ・アジア最終予選のイラク戦で、日本が試合終了間際に追いつかれて、本大会に進めなかったことがありました。いわゆる「ドーハの悲劇」というものです。あの試合の後、日本チームが成田か羽田かに帰ってきたとき、彼らを出迎えたファンが横断幕を掲げたんです。そこになんて書いてあったかというと、「感動をありがとう」。スポーツと感動を結びつける言説は、少なくとも僕が調べた限りでは、そこが初めてでした。

 で、長野オリンピック(1998年、冬季)のときもすごかったんですね。テレビを中心に「感動」みたいな言説が現れて、それが徐々に広まって普通になっていった……。そして「僕の/私のプレイを見て感動してもらいたい」みたいなことを、高校生も言うようになってきた。これが一応、僕の解釈です。

長田 じゃあそれまでは、たとえばプロ野球とかでも「感動を……」って言葉はあんまり出てこなかったんですか。

落合 そうですねぇ。選手が自分のプレイに関して、見ている人の心の動きを言うことって、なかったと思うんですよね。

長田 そういう言葉の使い方って、一つ流れがあったら広がっていくのかもしれないですね。伝えやすいですしね。

落合 そうですね。もうやっぱりメディアが簡単に、そこに乗っかり過ぎちゃっているという気もするんですよね。選手はインタビューでいろんなことを答えているにもかかわらず、メディアはやっぱり「感動」部分を必ず切り取る、みたいなね。

 たとえば水害や地震とか、いろんな自然災害が全国にあるじゃないですか。で、そこ出身の選手が何か活躍するとなると、その選手が「自分のプレイで被災地の人に勇気を与えたかった」と言ったと報道されるということです。まあ本人が一生懸命やっていることは良いし、それを見て、自分も頑張ろうってなる人もいるとは思います。インタビューでも選手は「感動」についても喋っているんでしょうけど……、そこが切り取られて「被災地に勇気を与えるホームラン」的な見出しになっていることには、ちょっと安易過ぎないかって思うんですよね。

長田 そうですね。震災とか、今だと軍事侵攻だとか、正直言って、繋げようと思ったら簡単に繋げられますよね。

落合 ええ。逆に、スポーツがそういった役割を背負わされているとも言えると思うんですよ。これは良い比較かわからないですけど、たとえば文学や音楽とかで賞を獲ったときに、「私の受賞が地元の励みになれば嬉しいです」って言い方する人、あんまりいないように思うんです。

長田 ああ、スポーツと比べると全然聞かないかもしれませんね。スポーツは、本人の意思と試合の結果を結びつける感じですもんね。

落合 そこはちょっと、スポーツの特別なところかなって感じがします。まあファンであれば、いろんな思いを託す人はいるとは思います。ただ、「こういうときは、こういう言い方をするんだ」っていうのはね……。

長田真作×落合博(2)へ続く